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”最強の孫子 戦いの真髄”を読んで【参考読書時間5時間】

 

おはようございます。

 

今日は昨日読み終わった本で学んだ事を紹介します。

 

今日の記事の内容

 

 

 

孫子兵法書で学んだ事

 

 

相手を知り、己を知れば敗ける気づかいはない!

 

この言葉でよく似た言葉を耳にする事はあります。

相手を知り己を知れば百戦危うからずと言う言葉です。

 

同じ意味ですが、私は今までずっと勘違いしていました。

”相手を知って、己を知れば戦えば勝てる”意味だと思っていましたが、実際は負ける事は無いという意味を今回で知りました。

 

どういうことかと言うと、孫子兵法書には勝つための戦略ではなく敗けないための戦略が重要とされているからです。

 

 

戦国の歴史では、数万の軍隊が数千の軍隊に敗ける事もあります。

有名な例として、毛利元就陶晴賢厳島の合戦です。

 

厳島の合戦(陶軍vs毛利軍)

 

陶晴賢が主の大内義隆を倒し実権を握り、その後で周辺を攻めるが仲間と思っていた毛利に陶軍の城を奪われる。

そこで陶軍と毛利軍で起こったのが厳島の戦いです。

 

陶軍は2万と毛利軍4千の実に5倍近い差のある対決です。

数で不利な毛利軍は奇襲戦法を選び厳島を主戦場とします。

陶軍は兵数の多さ、狭い場所で逃げ場がない所へ行った毛利、さらに敵軍の降伏の願いもあり厳島へと決戦に向かいます。

 

しかし、その厳島の地は毛利の術中に入る事になります。

毛利は、息子の小早川隆景に来島・能島・村上水軍に援軍の要請をする。

さらに、敵(陶軍)に降伏するというのは元就の嘘でおびき寄せるための餌だったのです。

 

結果は毛利の奇襲攻撃に混乱に陥った陶軍は散々に打ち破られます。

陶軍は渡航してきた船も壊され逃げ場を失いその場で自刃し果てます。

 

陶晴賢も決して元就を侮ったいたと個人的には思いませんが、敵の土俵に入れば主導権は奪われてしまいます。

 そして、敵の裏切りなど好条件により思考を停止してもはや勝つ事に間違いがないと驕りがあったのかもしれません。

 

 

 

戦いの目的を間違えると失敗する

 

 

戦いの目的は一体なんなのか?

孫子の教えでは、国益のために繋がるものでありその中で戦争や外交などはあくまで手段でしかないというのが考えです。

 

国益にならないものには決して手を出さず、無暗に戦争はしてはいけない事を説いています。

 

過去の戦国時代なら相手の領地を奪い国力を高める事だったり、要所を抑えて戦況を有利に進める事である。

というように利益がある事がほとんどです。

 

しかし、途中から自分の力を誇示したいがためだったり、相手を貶めたいと私信に走ると失敗する事がある。

 

それを書いた内容が湾岸戦争である。

 

湾岸戦争

 

 

イラククウェート侵攻で占拠したことについて国連がイラクに対して即時撤退を要請するところから始まります。

 

そして、この時のアメリカ大統領ジョージブッシュはフセインを悪者に仕立て上げます。

国民の支持を得てフセイン政権を倒す事には成功しました。

しかし、この後でジョージブッシュ大統領は政権を取られてしまいます。

 

アメリカにとって、イラクフセイン政権の存在意義は対イランを抑えるための抑止力だったのです。

真の目的は中東の均衡を保っていて欲しかっただけで制圧する必要はありませんでした。

 

そのため、アメリカはフセインを倒した後は協力関係にあった反政府側のクルド人を見捨てます。

 

国民感情を焚きつけてフセイン政権を倒しすべきと主張した後で、倒さずに政権存続とは都合が良すぎて、もはやどんな言葉を使っても国民の支持は得られず、失った信頼は政権交代するまで続くことになります。

 

 

最後に

 

 

まだまだ役に立つ考え方がたくさん本書には載っています。

 

例で紹介される人物は古くは中国の春秋時代から新しいものだと野球選手やラグビー選手までと様々な人たちが登場します。

 

今回紹介した実際例は過去のしかも、個人ではなく国家を揺るがすような大きな事案だったので次回の記事ではもう少し小さい部分からでも実践できる所を紹介したいと思います。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

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