こんばんわ
急な話で申し訳ありません。
ここ1年間でなぜか見過ごせない性格になってきました。
自分でも不思議な感覚です。
今日はそんな不思議体験の記事を書きます。
今回の記事の内容
最近の自分でも思う変な行動
自分でも今までなら見過ごしていたものに対して立ち止まって振り返って戻る事が増えてきました。
実際例がこちら
- 道に捨てられていた煙草の空箱
- 車椅子で1人で動こうとする高齢者の方
- 雪は降るに滑って上手く車を駐車場に入れられない人
これらの人々や捨てたものを見ると今までなら気にする事もなかったのですが、なぜか最近はスッキリとした気持ちになれずにいました。
結果、来た道を戻りもう一度自分の気が済むようにやり直します。
実際例もやり直しの行動は
- 捨てられた煙草の箱を拾い、ゴミ箱へ捨てる
- 車椅子の高齢者に声を掛けると家族がもう少しで来るから、大丈夫です
- 手伝いましょうかと声を掛けると、少し動かすだけなので大丈夫です
3つのうち2つは結果として何もありませんでした。
唯一、貢献したのはゴミをそのままにしなかったことでしょうか。
でも、やって良かったと思っています。
今までも重い荷物を持っている人や道を探している人など困った人は巷に溢れています。
そんな人を見た時に、大変だなって他人事にしか思っていませんでした。
しかし、歩き去った後に数分間はその人たちが頭の中に記憶として残ります。
あのままずっと困っているのではないか、もしかしたら手伝った方が良かったのではないか。
ずっと自分の良心が訴えてくるのです。
最近はこの良心が私を制するようになったのだと思います。
小さなプラスポイント
私の先ほどの例でも結果として手助けにはなっていない事もあります。
ただし、1つだけ間違いない事がわかりました。
やって良かったという事です。
声を掛けて大丈夫と反応があれば、その場を離れた後にもう悩む事はありません。
むしろ良かったねと高揚感があります。
その気持ちが続くので次へのモチベーションも上がります。
ほんとに些細な効果ですが、マイナス効果を生むよりは全然良いと私は思います。
最後に
今の世の中で困っている人がいても中々声を掛けにくいご時世にもなっています。
下手に声を掛けれれば不審者に思われたり、最悪の場合は警察に事情聴取という事もありえます。
実際にニュースなどにも取り上げられていますよね。
だからこそ、私も下手に声を掛けるべきではない。
大変な事でも自分のことは自分でやるべきだと思っていました。
3年前に道端でキャリーバックを引いていた外国の女性に急に声を掛けられた経験があります。
その人は私にお金を貸してといきなり声を掛けてきたのです。
数千円なら上げてもいいやと思っていたのですが、まさかの8万円貸してと言ってきたのです。
そんな大金は無いと伝えると5万円でいいと喰い下がります。
”5万円で”のでにイラっとした私は話の途中でその場を後にしました。
過去の記事にもしましたが、お金は貸しても返ってきません。
人の良心を逆手に悪用する人間もいるのが本当に怖いですね。
しかし、ほんの少しだけ困っている人もたくさんいます。
そんな光景を見て知らんぷりをここ数年、いや10年くらいは気にしないようにしていました。
結果は私の場合、見過ごした後の気持ち悪さだけが残っていました。
私の中の少しの良心で助かる人がいるのであれば、それでいいと思います。
みなさんに押し付けるつもりはありません。
今のご時世で危険も伴いますので、安易に人助けをすると自分の身が滅ぶ可能性もあります。
それでも1人でも多くの人がなるべく困っている人が手を差し伸べられるような社会になればと思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。