おはようございます。
今日は昨日読み終わった本で学んだ事を紹介します。
今回の記事の内容
ブログを書いて1年間経過
私もブロガーとして1年が経過しました。
最近では記事をアップロードする前に、誤字脱字の確認をしたり、言葉の繋ぎがおかしくないか確認をしたりと注意するようになりました。
しかし、学校の先生のように添削していただける人がいないので完全ではありません。
読んでいて意味がわからない部分があると思います。
その部分に関しては申し訳ありません。
本書を読んで少しずつ改善をしていきたいと思っています。
悪文の条件
本書による悪文の例は様々です。
そこで特に私が特に気になった項目を紹介します。
- 1度読んでも意味がわからない
- 1文がやたらと長い
- 常態と敬体を混合させた分
- 修飾語の位置
- 並列の使い方
上記の四点が私の中で過去にやっていると感じたものです。
1度読んでも意味がわからない
これは文字通り、一度読んでも理解できない文です。
この赤い花はチューリップです、私の弟は○○学校に通っています。という単純な文章であれば特に難しい内容ではありません。
私が読んでも意味がわからない代表例が、自分の中の例え話をする時です。
書いている本人は頭の中でわかっている内容ですが、実際読まれている人には想像しずらい場合があります。
記事を作成しても自己満足になってしまう可能性が高いです。
普段の会話でも例え話をして、相手の理解が得られていない場合があります。
そんな私が文章で例え話をすると余計わかりづらくなっていると容易に想像できます。
今一度読み直しすか、書き方を変える必要がある部分です。
文が長い
あまりにも短い分だと稚拙な感じが出てしまうから、長い分を書こうとすると悪文になりやすいと書かれています。
理由は主語と述語が離れすぎるからです。
実際の例でならば
私は昨日、デパートに出かけ家族とご飯を食べました。
私は昨日、朝から家族と車に乗って出掛け片道3時間の道のりをかけてデパートに行き、お昼ごろに到着したのでお腹が空いたと子どもが言うのでレストランで食事をしました。
長い分は確かに詳しく説明が出来ますが、言いたい事を詰め込みすぎると読みづらい分になってしまいます。
主語と述語の位置が離れれば離れるほどぼやける感じが出てしまいます。
あまりにも長い分はやはり読みづらい感じが出てしまいます。
敬体と常体を混合させた文
敬体とは、です・ます調の丁寧な言い方です。
常体とは、・・だ、・・であるという言い方です。
私の記事では主に敬体を用いていますが、です・ます調だと稚拙な見られ方をするという事を言われたのでたまに常体を使う事がありました。
私も記事を書いている時には気づきませんでしたが、混ぜ込む事で読み返すと少し威圧的な感じを受ける部分がありました。
常体は論文調になるので、相手に理解してもらいたいために強い言い方になってしまうのかもしれません。
意図的に使って文の構成にメリハリをつける例も本書にはありますが、私にはまだまだ実力が足りないのでまずは基礎を固めなければなりません。
修飾語の位置
学校で勉強して以来使う事はなかった言葉ですね。
修飾語とは、名詞に説明を加える語句です。
例として花にもたくさんの種類があり、赤い花もあれば、黄色い花もあります。
大きさや形も違うので花だけでは説明が足りません。
修飾語はその違いを説明するのに重要な役割を果たします。
と、ここまでは言わなくても勉強していた内容です。
ではこの修飾語がなぜ悪文を作ってしまうのか、それは使い勝手の良さにあります。
名詞の前に置くのが修飾語ですが、今ではいろんな使い方をします。
本来は修飾語は名詞の前にあるのですが、前後に来ると難解な文になります。
例(レストランに掛かる修飾語に注目)
〇私は昨日、町一番の綺麗な佇まいで料理が美味しいと評判のレストランに出掛け家族と食事をました。
×私は昨日、町一番の綺麗な佇まいのレストランに出掛けしかも料理が美味しいと評判だったので家族団らんで食事をしました。
並列の使い方 ~たり~たり
並列の言い方で一番気をつける所は・・たりの使い方ではないでしょうか。
遊んだり、勉強したりと〇〇たりの後には〇〇たりが無いと文章としてしっくりこないとなっています。
私も良くたりを使いますが、2つ目のたりを使わっていない事がありました。
細かい部分ですが、直すと対比するものが明確になり読み易くなります。
悪文を読み終わって
本書は慢心した私のブログに一喝を入れてくれました。
しかし、未だに全ての内容を全て理解できません。
これは本書が悪文だからではありませんよ。
学生時代に国語の授業を適当に受けたツケです。
上記に書いた以外にも、接続詞の”が”は使い勝手が良いために言葉が頭に残らないなどまだまだ参考になる内容がたくさんあります。
ブログを続ける以上は記事の内容も重要ですが、日本語の使い方はそれと同等で重要です。
それを知った読書です。
最後に
この悪文は2回読んでいます。
おかげで1回目では気にならなかった部分も再発見したり、1回目で理解できなかった事が何となくわかったりと進展がありました。
先生と言える人がいない今叱られる事はほとんどありません。
そんな中この本は厳しく指摘されているので読んでて辛い部分もありますが、自分のためになります。
ここまでお読みいただきありがとうございした。