こんばんわ
今回は時間が掛かりました。
中身は面白いのですが、如何せん時々登場する古文の所を読んでいると眠くなってしまいます。
本の中身だけなら大丈夫だったのですが最近、電車内で本を読んでいると年配の女性が鼻歌を歌っている事があります。
その鼻歌が子守歌のように耳の奥に侵入してきます。
まるでドラクエで言うラリホーのように一撃で睡魔に襲われます。
魔法耐性の無い戦士タイプの私は術に嵌まり、幾度となく起きたら終点の目的駅になっていました(笑)
そんな魔法使いの攻撃を避けてようやく読み終わりました。
今回の記事の内容
現代社会は欲望の渦
誰もが貧しいよりも富裕である方が良いと思うはず。
私も不自由な生活よりたくさんのモノがある方が豊かな生活だと思っています。
ところが、そんな生活を追い求めた先には何があったでしょうか。
欲しいものが手に入れば新たな欲求が生まれ、人間の欲望がどんどんと際限なく膨れ上がっています。
そんな生活では心のゆとりも得られないばかりか、物質的な欲求さえも満足できなくなります。
そんな欲望まみれの世界で生きる事は誰も良いとは思っていないはず、だけど貧しい事への不安もあります。
そのジレンマこそが欲望へと駆り立ててしまうのです。
貧しいは本当に不幸か?
世の中はお金がないと車も家も美味しいご飯も食べる事はできません。
だからこそ、人は仕事をして生活のためにお金を稼ぐのです。
最近でも、多額の教育費を投資しないと競争社会に負けて貧乏になる、老後を過ごすために必要な金額は2000万円も必要になると生まれてから死ぬまでお金が纏わりついてきます。
そう私たちが生きていくうえでお金はもう切っても切れない関係になっています。
では、本書に紹介されている方々もお金を集めていたのでしょうか。
答えは否です。
生活出来る最低限の衣食住があれば十分で余分なものは何も持たず、もしそんなものがあれば周りに渡すという人たちが紹介されています。
松尾芭蕉、妙秀、本阿弥光悦、良寛など様々な話が載っています。
彼らはそんな生活を自ら進んで行っています。
貧しく慎ましく暮らし、世に素晴らしい物を残しています。
現代社会では貧乏が確かに不幸だと一時は思う時があります。
しかし、時が経って振り返るとそれも良かったと思う時があるのも事実です。
実は、清貧につく前に豪遊をしていた?
本書に登場している人は元々、裕福な家庭に育っていた人もいます。
そのまま暮らせば屋根のある家に温かいごはんも食べられていたはずです。
なぜ、敢えてそんな生活を捨てたのはなぜだろうか?
この方々はおそらく欲望が尽きる事が無い事をどこかのタイミングで知ったのでしょう。
もうこの世にいない人の真意を知る事はできません。
ですが、彼ら彼女らが残した作品は誰もが知っている有名なものが多いです。
今の利権争いに汗を流している人には決して作る事の出来ない作品であることは間違いありません。
清貧に生きるとは?
清く貧しく生きるとは決して何もかも貧しいものを選ぶ事ではありません。
過去の偉人たちは乞食に近い生活をしていた人もいます。
ですが、今の日本ではそのような生活はほぼほぼ不可能です。
なので今の現代社会で清貧に生きるとは最低限の必要なモノだけを所有し、他に多くのものを望まない事です。
簡単に出来そうですが、本当に大変です。
それは我々がお金に依存して生活をしているためです。
今の日本ではお金が無いと生活はできませんし、生きているだけで税金という徴収が発生します。
だから、人はよりお金を集めます。
お金は鋳造された自由と言われているように金額が大きく成れば権力さえも手に入ります。
そんなお金の持つ魔力は絶大だから依存するのも仕方ありません。
私もそうです。
今までのブログでも書いたようにお金を稼ぐ事を目指しているます。
お金からの欲望からは抜け出せまていません、むしろより多くのお金を欲しています。
月に何十万も稼げるようになったら良い所に住んで、良い物を食べてと結局考えるのは欲望ばかりです。
この本を読んで将来の描く姿が変わった
この本では日本は古来から自然と共に暮らす事が書かれています。
私も都会の人工的な光ではなく、陽を浴びて起きて暗くなったら寝るような生活がしたいと思うようになってきました。
最終的には俗世から離れ、どこかの土地で自分と一緒に暮らせる人がいれば、その人たちと共に食べていけるだけの最低限の生活が出来れば良い。
なので農業をいずれはやってみたいです。
しかし、そんな生活を選んでも日本で生きる限りは税金などのお金も最低限必要です。
その必要最低金額が稼げるようになったら、本当に隠棲出来るような生活を考えたいと思います。
本書を読んで、お金からの解放こそが最大の自由を得ると考えるようになりました。
お金の事で悩む生活はうんざりです。
(今回読んだ本)
最後に
本書にはエーリッヒフロムの論文「生きるということ」で紹介された西欧人と日本の詩人の違いが書かれています。
西欧の詩人はフロム、日本の詩人は松尾芭蕉です。
どんな話かというと花を見た両者の違いが書かれています。
フロムは花を見つけると手に取って所有するのに対し、芭蕉は花の姿を見つめていたという事です。
この差は花を生かすか殺すかの違いです。
前者は花の素晴らしさに所有欲が発生し摘み取る事を選んでいます。
後者は無暗に破壊することなく、ありのままを楽しんでいる。
この話は印象的でした。
所有とは突き詰めると誰から奪うという事です。
今回の花であれば花の命を奪います。
どちちを選ぶのかはこれから次第ですね。
だけど全ての欲望を捨て去るような仙人にはなれないかもな~
ここまでお読みいただきありがとうございました。