おはようございます。
昨晩は何もせずに寝てしまいました。
どうも最近調子が乗らない日が多いです。
季節の変わり目で体調も右往左往しているのもありますが、実はいつもに比べて万全な状態です。
本当に勿体ない時間の使い方をしています。
今日は久々の休みなのでガッツリと編集作業をします。
今日の記事の内容
次の動画の企画 ”三国志 袁紹編”
私は現在、三国志5の動画を撮影し動画投稿をしています。
企画として挙げた3つのうち2つはクリアしました。
そして、最後の3つ目の動画の準備をしています。
現在の進捗状況は動画の撮影はほぼ終了し、編集作業をしています。
三国志の袁紹は最盛期は天下に最も近い勢力でしたが、曹操に敗れ去ります。
その敗戦も戦略ミスの連続で負けるのは間違いないレベルです。
それを調べていると本当に面白くてついつい仕事忘れてしまいました。
シナリオ”河北の嵐”は烏巣の戦いの後から
今回プレイする河北の嵐は、烏巣の戦いの敗北後からなので圧倒的に不利な状態からスタートします。
どれだけ不利かと言うと官渡の戦いの前哨戦で顔良、文醜は当時曹操の元にいた関羽により討ち取られています。
田豊は内部の策略により投獄され、烏巣の敗戦に憎まれ口を言われる事を嫌った袁紹により処刑されています。
沮授は、烏巣陥落後に曹操軍に捕まり脱走を図る途中でやられてしまいます。
高覧と張郃は烏巣の襲撃の援軍を派遣するよう進言しますが、袁紹は優柔不断な決定を下し両名は本来進言した援軍ではなく曹操の本営へと攻め込みます。
しかし、曹操軍も攻めてくるのはわかっていたので曹洪が率いる本営を落とせずに、結局烏巣を攻め落とされます。
このように袁紹軍は主要な武将はほとんど亡くなっているか、曹操に回っています。
兵士だけは10万近くあるので、何とか抵抗は出来ますがもはや風前の灯火です。
しかも、袁紹は50歳を超えているため余命いくばくもありません。
袁紹が名族として復興できるか?
演義の曹操は袁紹が存命のうちは攻め込まず、袁紹が無くなった後に身内で骨肉の争いを始めたタイミングで併呑しています。
しかし、三国志5ではそんな余裕を持って待ってくれません。
AIプレイで見ると数カ月後には河北のほとんど奪われて、あっという間に滅亡に追い込まれています。
幸いに兵士は残っていますので戦い方次第では勝つ事が可能です。
しかし、敵には夏侯惇、夏侯淵、張郃、許チョなど曹操軍オールスターがいますので一筋縄では行きません。
劣勢には変わりありませんが、演義と違い曹操は袁紹存命時に攻め込む愚かな行為をしています。
荀彧や郭嘉の諫めも聞かずに、今こそ倒す時と思ったのでしょう。
その油断こそが袁家の唯一のチャンスです。
最後に
これから編集作業に取り組みます。
三国志5の動画はこの袁紹編でほぼ終わり、後は数本作って次の作品に移行したいと思っています。
来年は信長の野望に新シリーズも出るようなので、信長の野望に戻ろうかなって思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございます。