こんばんわ
今日は読書感想文の回です。
もくじ
小説 蒲生氏郷
なので蒲生氏郷だけでなく近江商人の仁右衛門が主役となってます。
私は蒲生氏郷という武将がどんな人物だったのか知りたかったので本作品を手に取りました。
商人の話も面白かったのですが、やはり蒲生氏郷の戦国武将として魅力のある人物です。
ゲームでの能力の高さも頷けますね。
蒲生氏郷の生涯
蒲生氏郷は1556年六角家家臣の蒲生賢秀の息子として誕生します。
六角家の元で過ごしますが、時は戦国時代です。
尾張の織田信長が桶狭間で今川義元を討ち取ると続いて美濃の斎藤義龍を倒します。
織田信長は京に上るため、六角氏に道を開けろ!と要請を出しますが、若輩者の織田信長を六角義賢は無下に断ります。
父蒲生賢秀、祖父の蒲生定秀が話し合いの上、織田家に離反する事を決める。
結果、六角義賢は味方の離反が相次ぎあっけなく逃亡し六角家は滅亡する。
そして、蒲生家は生き延びるために当時まだ13歳である蒲生氏郷を織田信長に人質として差し出す。
氏郷は人質ではあるが、元来の利発さもあって徐々に信長の寵愛を受ける。
そして3年後に父の元へ戻る事を許され、加えて信長の娘である冬姫を娶り信長の義理の息子となる。
氏郷はこの後も信長の配下として朝倉・浅井征伐に参戦し、伊勢長島一向一揆の鎮圧と数々の戦争に参加する。
信長の勢いはとどまる事を知らず突き進むが、1582年本能寺の変による信長が明智光秀の謀反により没する。
明智光秀は蒲生氏郷に自分の仲間になるように計らうが氏郷は頑として拒み、信長の身内を匿った。
そして、羽柴秀吉が中国大返しの末に明智光秀を討ち取ると蒲生氏郷は忠義を貫いたと賞賛を受ける。
その後は秀吉の元で九州征伐、小田原征伐に参戦しその功績を認められ、会津黒川城42万石を与えられる。
しかし、この伊達政宗が曲者で蒲生氏郷を亡き者にしようと一揆を扇動する。
政宗の謀略を見抜いた氏郷は一時に一揆勢と政宗に挟まれる緊急事態に追い込まれるが、一揆勢を一気に倒し一揆勢が籠っていた城で籠城する。
その間に政宗が一揆を扇動した証拠を掴み、上奏すると政宗も観念し無事に虎口を脱する事が出来た。
この功績により92万石の全国第3位の大大名へと成り上がった。
その後は九州の九戸政実の乱を鎮圧するが、37歳を超えた頃より体調が悪くなる。
一説には氏郷の能力を恐れて毒をもったと言われている。
そして、40歳という若さでこの世を去る。
信長の意志を受け継いだ男
青年期に信長の元にいて影響はかなりあった。
そして、彼も配下としてではなく天下を狙う武将であった。
彼の辞世の句は会津黒川に向かう時に詠んだものである。
京に近ければ天下人になる可能性があったが、地方に飛ばされればその可能性を断たれたと嘆いていたのだろうと考察されている。
彼がどこかのタイミングで天下を狙うならいつだろうかと考えると楽しくてしょうがない。
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最後に
蒲生氏郷という武将を知る事が出来ました。
織田信長の近くで一番学んだ男かもしれません。
国を富ませるには民を富ませるという流れを知っていたからこそ、商人を大切に扱っていたのでしょう。
それにしても40歳という短命は儚いです。
しかも、蒲生家は氏郷の息子秀行、孫の忠郷で跡継ぎは出来ずに蒲生家は断絶する事になる。
歴史とは何とも残酷なものですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。